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鳥潟会館(旧鳥潟家住宅・庭園)

鳥潟会館の概要

鳥潟会館外観
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名称
 大館市立鳥潟会館

沿革
 鳥潟家は慶長年間のころから続く旧家で、花岡村の肝煎を代々務めてきた家柄です。
 第17代の鳥潟隆三博士は、昭和11年(1936)に京風の意匠を取り入れ、邸宅の増改築と庭園の拡張を行いました。約5年の歳月を要して延べ1,000人を超える京都の大工・左官等の手によって、整備されました。庭造りには京都から造園師を招き、庭石に京都の鞍馬石を使うなど、京風の情緒豊かな庭園として、建物と共に東北地方有数の文化遺産といわれています。
 昭和26年(1951)に当時の花岡町に寄贈され、大館市との合併により市立「鳥潟会館」として一般 の利用に開放しています。
 平成23年(2011)3月22日、建造物が秋田県指定有形文化財に、庭園が秋田県指定名勝(記念物)に指定されました。

見学・案内
 鳥潟会館は無料で見学できます。案内人がおり、ご希望に応じて建物内や庭園の解説をしますので、現地でどうぞお申し付けください。

旧鳥潟家住宅

 旧鳥潟家住宅は、昭和11年(1936)に庭の拡張と邸宅の増築のために、宝暦年間に新築されたとする旧主屋を曳き屋して移動した後、増改築が行われました。
 旧家の佇まいを残しつつ、随所に京風の意匠が取り入れられています。2階には茶室が設けられました。鳥潟家に残る書簡などから、邸宅の整備には京都を中心に活躍した成行兼太郎も棟梁として携わっているとされています。
 増築された座敷の天井には屋久杉などの吟味された銘木が使用されています。土間や台所がある西側部分には地下倉庫(25畳)が備えられ、土間上部にはトラスの小屋組が見られます。
 床面積:791㎡ 桁行39.0m 梁間17.3m

旧鳥潟家住宅座敷 旧鳥潟家住宅窓 旧鳥潟家住宅居間 旧鳥潟家住宅和室 旧鳥潟家住宅地下倉庫

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建物案内図

鳥潟会館案内図

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紹介ビデオ

旧鳥潟家住宅庭園

 旧鳥潟家住宅庭園は、昭和11年(1936)に邸宅の整備とともに拡張・整備されました。 池を中心とした地割りがよく計画され、石組などに京都風の手法が見られる県内の代表的な庭園です。
 隆三博士の意思により各地から良材が取り寄せられ、とりわけ、主屋東縁には長さ3mを超える京都の鞍馬石による沓脱石が見られます。
 表門、中門のほか、内露地には茅葺きの草庵茶室、茶室待合、四阿(あずまや)、社殿があります。
 庭園は四季折々の姿を見せるため、訪問者を飽きさせることはありません。春はツツジの繚乱、夏は力強い蝉しぐれ、秋は燃え盛る紅葉、冬は白銀の世界が皆様をお待ちしています。ほっと、一息つける心落ち着く空間がここにあります。どうぞ、お気軽にお立ち寄りください。
 敷地面積:8191㎡ 池面積377㎡

鳥潟会館庭園 鳥潟会館庭園入口 鳥潟会館庭園茶室 鳥潟会館庭園 紅葉

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庭園案内図

鳥潟会館庭園案内図

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紹介ビデオ

鳥潟家の人々

鳥潟 隆三 Torikata, Riuso -日本の外科医学界の発展に貢献

 鳥潟 隆三 明治10年(1877)~昭和27年(1952)
  函館生まれ
  医学博士 京都帝国大学名誉教授 元日本外科学会会長

 

  函館の松城尋常小学校から大分に転校し、叔父の鳥潟恒吉・サイ夫妻のもと、大分中学校、第一高等学校へ進みました。狩野亨吉の勧めにより、京都帝国大学へと進み、明治37年(1904)に恩賜の銀時計を授与されて卒業しました。
 明治45年(1912)、スイスのベルン大学などに留学し「血清細菌学」を研究、イムペジン学説を提唱しました。帰国後、鳥潟免疫研究所並びに付属病院を創立し、「コクチゲン(鳥潟軟膏)」を創製しました。大正14年(1925)、「平圧開胸術」を提唱し肺結核外科手術を著しく向上させました。その後、日本外科学会会長に就任し、日本医学会の発展に貢献しました。
 愛郷の心が厚く、郷里でチフスが流行した時は大阪からいち早くワクチンを送り村民全員に予防接種をさせました。

鳥潟 右一 Torikata, Wichi -無線電話機の発明者

 鳥潟 右一 明治16年(1883)~大正12年(1923)
  花岡生まれ
  工学博士

 

 花岡村簡易小学校から大分に転校し、叔父の鳥潟恒吉・サイ夫妻のもと、大分中学校、東京の開成中学、第一高等学校に進みました。東京帝国大学で電気工学を学び首席で卒業、恩賜の銀時計を授与されました。
 卒業後、電気試験所に入所し、ラジオ検波用の天然産鉱石の研究に着手。郷里の花岡、小坂、尾去沢鉱山などからも鉱石を採集し、26歳の時、鉱石検波器(Crystal detector)を発明しました。この結果、無線電信の通信距離がこれまでの数十kmから1000kmへと格段に延びました。
 明治42年(1909)に英・米に留学、帰国後、29歳でTYK式無線電話機を発明し、世界で初めて無線に音声を乗せました。大正3年(1914)三重県鳥羽市で実用化され、同4年には東京~上海間の無線通信に成功し世界に名を馳せました。
 右一はこのほか、電化製品や医療機器の開発も多数行いました。38歳で逓信省電気試験所長となってその活躍が大いに期待されましたが、40歳の若さで夭逝、正三位勲二等瑞宝章に叙されました。
 郷里を愛し、花岡鉱山で煙害問題が起こると、地元の煙害防止と賠償を求める活動を支援しました。

鳥潟 小三吉 Torikata, Kosankichi -世界で活躍した国際的軽業師

鳥潟 小三吉 天保13年(1842)~明治42年(1909)
 花岡生まれ

 

 嘉永元年(1848)に江戸に出、のち大阪で軽業の修業に励みました。慶応2年(1866)外国の曲馬団に誘われ、他の芸人らとともに英国に渡りました。小三吉は、「鳥潟小三吉一座」を結成し、ヨーロッパ各地を巡業しました。ドイツを巡業中に司法官の娘フハンネエと結婚。一座に加わったフハンネエは、得意の「胡蝶の舞」を演じて、観客の溜息とどよめきを誘いました。明治9年(1876)に帰国、日本各地を興行し名声を得ました。同15年(1882)に再び渡欧し国際的軽業師となり、ドイツ興行中にドイツ皇帝に招かれ妙技を披露、喝采を博し記念メダルを賜りました。
 同23年(1890)に帰国して郷里花岡(現在の鳥潟会館駐車場の位置)に、当時としては珍しい洋館を建築して住みました。

鳥潟会館附属郷土資料庫

 鳥潟会館附属郷土資料庫
 鳥潟家の土蔵(右一博士の父が建築)を改装し、1階には、隆三、右一、小三吉の三偉人の遺品や近世花岡村の肝煎を務めた鳥潟家に伝わる資料を展示しています。
 2階には花岡に伝わる民俗資料を展示しています。

紹介ビデオ

見学及び利用のご案内

施設概要

 大広間(和室4室、42畳)
 和室(17畳、11畳、8畳、6畳)
 その他(庭園、東屋、茶室、資料庫)

時間

 見学(無料)9時~17時(4月1日~10月31日)
       9時~16時(11月1日~3月31日)

 お部屋を有料で借りることもできます。お茶会や会議等にご利用ください。料金はお問い合わせください。

休館日

 毎週月曜日(月曜日が祝・休日の場合は開館し、翌日休館
 年末年始(12月29日~1月3日)

申し込み

 大館市立鳥潟会館 0186(46)1009

交通

 秋北バス
  大館駅前 → 花岡本郷/鳥潟会館前 下車(約20~30分)

 自家用車
  鳥潟会館正面の駐車場をご利用ください。大型バスも駐車できます。

 

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